見どころ・展示構成

見どころ

世界初公開の肖像画を含め、
国内外のモディリアーニ作品約40点が集結。

35歳で夭折したモディリアーニの作品は、それほど多くありません。本展では、フランス、イギリス、ベルギー、デンマーク、スイス、アメリカなどから選りすぐりを集め、さらに国内美術館等が所蔵する油彩画や水彩、素描が一堂に会します。なかでも、スウェーデン生まれの伝説的ハリウッド女優、グレタ・ガルボが生涯にわたって愛蔵した《少女の肖像》は世界初公開となります。

アメデオ・モディリアーニ《少女の肖像》1915年頃
グレタ・ガルボ・ファミリー・コレクション

アメデオ・モディリアーニ《少女の肖像》1915年頃
グレタ・ガルボ・ファミリー・コレクション

大阪中之島美術館所蔵の
裸婦像と同じモデルを描いた
作品が来日、大阪で初めての再会。

大阪中之島美術館の約6000点のコレクションを代表する《髪をほどいた横たわる裸婦》。本展では、この作品のモデルと同一の女性を描いたアントワープ王立美術館(ベルギー)所蔵の《座る裸婦》が来日、大阪で初めての競演が叶います。

上:アメデオ・モディリアーニ《座る裸婦》
1917年アントワープ王立美術館
photo: Rik Klein Gotink, Collection KMSKA - Flemish Community (CC0)

下:アメデオ・モディリアーニ《髪をほどいた横たわる裸婦》
1917年 大阪中之島美術館

  • アメデオ・モディリアーニ《座る裸婦》
    1917年アントワープ王立美術館
    photo: Rik Klein Gotink, Collection KMSKA - Flemish Community (CC0)

  • アメデオ・モディリアーニ《髪をほどいた横たわる裸婦》
    1917年 大阪中之島美術館

モディリアーニとともに
活躍した芸術家の作品を集め、
大阪・中之島に「エコール・ド・パリ」の空間を再現。

20世紀前期のパリで活動したモディリアーニは「エコール・ド・パリ」の一員として、ピカソやシャガール、藤田嗣治などと同世代です。本展では、そうした仲間たちの作品も多数紹介、彼らの交流をご紹介します。パリに吹いた新しい風とともに、モディリアーニ芸術が成立する軌跡をたどります。

上:パブロ・ピカソ《ポスターのある風景》1912年 国立国際美術館
©2021 - Succession Pablo Picasso - BCF(JAPAN)

下:藤田嗣治《自画像》1929年 名古屋市美術館
©Fondation Foujita/ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2021 G2722

  • パブロ・ピカソ《ポスターのある風景》
    1912年 国立国際美術館
    ©2021 - Succession Pablo Picasso - BCF(JAPAN)

  • 藤田嗣治《自画像》1929年 名古屋市美術館
    ©Fondation Foujita/ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2021 G2722

展示構成

プロローグ

モディリアーニが過ごした20世紀初頭のパリは歴史的にどのような時代だったのでしょう。華やいだベル・エポック(“良き時代”などを意味するフランス語。19世紀末から第1次世界大戦が勃発するまでのフランスの繁栄を表す)の時代から一転して、フランスは1914年から1918年まで第1次世界大戦の渦中に置かれます。戦時下で苦しい市民生活を強いられるなか、芸術家たちは苦難に耐えて制作しました。そうした時代背景をポスター作品やパネル展示によってご紹介します。

第1章芸術家への道

故郷イタリアからパリに到着したモディリアーニは、セザンヌなどの作品に影響を受け、キュビスムやフォーヴィスムなど新しい表現に触発されます。さらに、他の芸術家と同様にアフリカ美術にも魅せられ、この時期は彫刻とカリアティード(古代建築に用いられた女性の姿を模した柱)の制作に没頭しました。本章では1913年頃までの初期作品を、彫刻制作のきっかけともなったブランクーシ作品やアフリカの仮面などと合わせて取り上げます。

  • アメデオ・モディリアーニ《カリアティード》1911-13年
    愛知県美術館
  • コンスタンティン・ブランクーシ《接吻》 1907-10年
    石橋財団アーティゾン美術館(旧ブリヂストン美術館)
  • アメデオ・モディリアーニ《青いブラウスの婦人像》1910年頃
    ひろしま美術館
  • アメデオ・モディリアーニ《ポール・アレクサンドル博士》1909年
    東京富士美術館

第2章1910年代パリの美術

モディリアーニは異国出身者の総称「エコール・ド・パリ」の仲間ですが、当時のパリは新しい美術が次々と生まれる刺激的な芸術都市でした。モディリアーニは仲間と豊かに交流し、文学者とも親交を深めます。本章ではピカソ、シャガール、スーティンなど、パリで活躍した芸術家たち25名の作品を集め、モディリアーニとの関わりを中心にご紹介します。

  • アメデオ・モディリアーニ《ピエロに扮した自画像》
    1915年 デンマーク国立美術館
    SMK Photo/Jakob Skou-Hansen
  • アメデオ・モディリアーニ《フジタの肖像》1919年
    北海道立近代美術館
  • マルク・シャガール《町の上で、ヴィテブスク》1915年
    ポーラ美術館
    ©ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2021, Chagall® G2722
  • マリー・ローランサン《サーカスにて》1913年頃 名古屋市美術館
  • マリー・ローランサン《サーカスにて》1913年頃 名古屋市美術館
  • キスリング《ルネ・キスリング夫人の肖像》1920年 名古屋市美術館
  • アメデオ・モディリアーニ《ルネ》1917年
    ポーラ美術館

特集モディリアーニと日本

パリの共同アトリエ「シテ・ファルギエール」でモディリアーニと日本人画家との間に交流が生まれます。なかでも藤田嗣治とは友情で結ばれていました。日本で初めてモディリアーニ作品が紹介されたのは没後の1921年。次第に評論も増え、モディリアーニをモデルにした小説の翻訳を通じて、脚色を帯びた彼の生涯が日本の若い芸術家たちを刺激しました。ここでは、日本とモディリアーニの関係を作品と資料によって解説します。

  • 左:中原實《モジリアニの美しき家婦》1923年 東京都現代美術館
  • 右:藤田嗣治《二人の女》1918年 北海道立近代美術館
    ©Fondation Foujita/ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2021
    G2722

第3章モディリアーニ芸術の真骨頂 肖像画とヌード

彫刻から絵画へ復帰したモディリアーニは肖像画を次々に描き、絵画表現を成熟させていきます。モデルとなったのは友人や知人、恋人らでした。1917年には画商ズボロフスキの勧めで裸婦の連作に取り組みます。パリと南仏でこの時期に制作した作品群にはモディリアーニ芸術の真価が凝縮されています。最終章では、日本初公開となるバーゼル美術館(スイス)に永久貸与された肖像画をはじめ、珠玉の作品群を堪能していただきます。

  • アメデオ・モディリアーニ
    《若い女性の肖像》1917年頃
    テート Photo © Tate
  • アメデオ・モディリアーニ
    《エレナ・ポヴォロスキ》1917年
    フィリップス・コレクション
  • アメデオ・モディリアーニ
    《大きな帽子をかぶったジャンヌ・
    エビュテルヌ》1918年 個人蔵
  • アメデオ・モディリアーニ《おさげ髪の少女》1918年頃
    名古屋市美術館
  • アメデオ・モディリアーニ《少女の肖像(ジャンヌ・ユゲット)》1918年 アサヒビール大山崎山荘美術館
  • アメデオ・モディリアーニ《緑の首飾りの女(ムニエ夫人)》1918年
    個人蔵
  • アメデオ・モディリアーニ《ジャンヌ・エビュテルヌの肖像》1919年
    大原美術館
    展示期間:4月9日~5月29日

アメデオ・モディリアーニ

1884年7月12日、イタリア中部の港町・リヴォルノで生まれる。14歳頃に絵を学び始め、フィレンツェとヴェネツィアで美術学校に通う。1906年、21歳でパリに移り、翌年サロン・ドートンヌ(秋にパリで開催される展覧会。若い芸術家の作品発表の場であり、新しい運動が誕生する機会となった。フォーヴィスムが生まれた展覧会として知られる)に初出品。1910年頃から彫刻の制作に集中するとともに「カリアティード」の連作を描く。1914年頃には彫刻を断念し絵画制作に戻る。第1次世界大戦では兵役に志願するも健康上の理由で却下。1917年、画商ズボロフスキと契約を結び、肖像画に加えて裸婦像の連作に着手。同年12月、生前唯一の個展をベルト・ヴェイユ画廊で開催した。1918年、戦火を逃れて恋人ジャンヌ・エビュテルヌとともに南仏に滞在。1919年パリに戻り制作を続けるが、1920年1月24日、結核性髄膜炎のため、パリにて35歳で死去。